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「今を自分らしく生きている人の思いを大切に」をモットーにする
名古屋市瑞穂区のちいさな出版社・桜山社(さくらやましゃ)
電話番号:052-853-5678
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スタッフ紹介

代表・江草 三四朗
1978年名古屋市に生まれる。名古屋学院(現名古屋)高校卒業。南山大学大学院修了。学生時代の4年間、原点となる放送局と新聞社でのアルバイトを通して、伝え残すことの大切さを学ぶ。卒業後、出版社勤務、新聞記者を経て、2015年9月、「今を自分らしく全力で生きている人の思いを大切に」をモットーにするちいさな出版社「桜山社」(さくらやましゃ)を同市瑞穂区で設立。桜山社は、桜山の地名にちなんで。著書は『トップ営業マンとして大切なことはみんなリクルートで教わった 凄腕でもスーパーマンでもないボクの等身大感動営業術』(こう書房)、『僕がリクルートトップセールスマンからMBAになった訳 国内MBA第一期生の奮戦記』(ゴマブックス)。いずれも電子書籍化、アプリ化されている。「情熱大陸+P」に出演。座右の銘は「やってみよう。そう思うことが最大の才能。どんな偉業もそこから始まった」(予備校・河合塾の講師)。尊敬している人は、藤井英明さん(株式会社ゲイン代表取締役)と山口絵理子さん(マザーハウス代表取締役)。名古屋メシとドラゴンズをこよなく愛する。
「あいうえお」の想いを本に込め
最初のきっかけは、小学4年生の頃。
夏休みの自由研究で、家族旅行で行った沖縄の「旅行記」を書きました。
昆虫採集や工作など派手な作品が並ぶ中、原稿用紙5枚の手書きの旅行記は一番隅に追いやられ、クラスメイトの目に触れることはありませんでしたが、あるクラスメイトがそれを読んでくれたのです。
当時、私は一番後ろの席で「あ、読んでる!」と私はちらちら見ていたのを思い出します。
感想は聞いていませんが、子ども心にドキドキしました。
他にも、図書係をやっていたり、国語のノートをクラスメイト全員の前でほめてもらったり(唯一5段階評価の4をもらった)。
そのほか、学級文庫で自分が持ってきた本が貸し出されたりしたときは、やっぱりうれしかったですし、子どもの頃の誕生日プレゼントといったら、近所の本屋で父に図鑑を買ってもらったり、祖父にだいぶ高価な地図帳を買ってもらったり。
「三四朗はこんなのが欲しいのか」と祖父の笑顔が今でも忘れられません。

本をたくさん読んではいませんが、本を触っていると、本の世界と本を書いた人とつながっているような気がして、すごく幸せな気持ちになったのです。
それは今でも変わりませんでした。

二つ目のきっかけは、新社会人になってから。
大学時代はテレビ局と新聞社のアルバイトをかけもち。テレビ収録の観覧に来た人からお礼状をもらったことがきっかけ(今でも大切な宝物です)でした。
「何が何でもマスコミに入りたいんだ!」と大学2年からマスコミ学校に行って対策しましたが、全滅。
最後の最後に内定をもらったのが地元の出版社「ゲイン」でした。
正攻法では受からないので、会社の歌を作り、ビデオを編集し、オリジナルのTシャツを作って口下手な自分をアピールし“お情け”で入社したのでした。
そのときは「編集」を希望していましたが、事前説明会で総務部長から「営業で受けたら」とのこと。。
この一言があったから、”営業的に”いろいろパフォーマンスしたわけなのですが、今思えば、適性を見抜かれていたのかなと思っています。
苦手意識の強かった営業はやってみたら、楽しくて仕方がなかったのです。
しかしこれは、自分の広告が誌面に形として残っていくことに喜びを感じていた「出版社の営業」だからであって、たとえば、コーラを売れ、車を売れ、インターネット回線を売れといった営業だったら楽しくなかったと思います。
成果もきっとでなかったはずですし、実際にインターネット回線の営業ではさっぱりでした。
楽しいから、成果も大きくはないのですが、やっぱりついてきました。
このとき、「20代で苦手な営業を楽しめる本を書いて、同じ壁にぶちあたっている人を助けたい」と思うようになりました。
そうして、紆余曲折を経て、奇跡的に夢と思いが叶い、2006年5月に初の単行本が世に生まれました。
反響は本を見てメールをくださった人、直接会いに名古屋まできてくださった人、なけなしの年金から本を買ってくださった人。多くの温かさに包まれました。
そして、いつしか、「本を作って逆に恩返しがしたい」と漠然と思ったまま、記者の仕事をすることになりました。
”恩返し”はどこかに置き忘れてしまったかのように記者の仕事に没頭しました。
自分が書いた記事がでるたびに、ドキドキを繰り返す刺激的で忙しい毎日に恩返しという思いが消えかかっていた矢先、東日本大震災が襲い、物資や薬が手に入りません。
そんな中で、地元名古屋でお世話になった人たちから大量の物資が送られてきたのでした。
涙が止まりませんでした。やがて、震災も落ち着きをややとりもどし、毎日取材を重ねていくうちに、取材相手から多くのことを教えられ、むかし思った恩返しをしないと……と思っていきました。
ところが、大きな追突事故に遭ってしまったのです。
それが、2014年8月1日。救急車で運ばれていく中で、「もう何にもできないのかな……。本当に運がないな」と。
お盆の間は、身体を動かすことができず、横たわりながら退職のことをぼんやりと考えていました。
「ゆっくりしたい」。
それでも、大好きな支社長が来年で定年を迎えるため、たとえ首が悪くなってもあと半年は頑張ろうと思い、すこし無理をしたかもしれませんが、治療と並行し、仕事をしました。
こうして無事に上司を送り出せ、やっぱりよかったなと思いました。
上司から学んだことは「あいうえお」でした。
「あ」は愛。
「い」は因縁、ちなみに。
「う」は運、
「え」は縁、
「お」は恩。
人生のすべては「あいうえお」でした。
ちょっと遅れてしまいましたが、事故後の身体もだいぶ楽になり、自身の本の出版経験で得たこと、記者、出版営業の仕事も経験して、あらゆる方向から自分なりに考えることができるようになったこと。
でも決して自分一人でなく多くの人に助けられての自分であって、これまでは100%会社の力であっての自分であるわけですが、助けてくれた多くの人の優しさを力にかえ、
「やってみよう。一歩を踏み出してみよう」と思います。

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